「ユダヤ人であること」の継承
−−現代イスラエルの場合
山森みか
『アレテイア 31号』(日本基督教団出版局)2000年所収
「ユダヤ人とはだれか」という問いに対する一般的な回答は、ユダヤ人の母から生まれた者もしくはユダヤ教に改宗した者ということになる。しかしユダヤ人とカテゴライズされる人々が、すべて「ユダヤ教」を「信仰」しているわけではない。母親がユダヤ人であっても自分は無神論者だと言う人もいれば、ユダヤ人と結婚する非ユダヤ人女性がしばしばそうするように、内的な「回心」を経た「信仰」ではなく社会的要因(将来生まれてくる子どもをユダヤ人にしたいなど)によってユダヤ教に改宗する人もいる。また現代イスラエルではユダヤ教正統派のみがユダヤ教と認められているので、保守派や改革派のラビの下で改宗した人はユダヤ人とは認められない。「ユダヤ人とはだれか」という問いは、宗教、� ��スニシティ、伝統、文化、制度といった様々な側面に関わる問題なのである。
ユダヤ教に特徴的なのは、日常生活の細部に渡る詳細な規定である。「ユダヤ教は、人間のあらゆる行為を実質的に神との交わりの手段に変容させようと努力する生活方式である。この神との交わりを通して、ユダヤ人は神の国と地上の人間の兄弟関係の確立のために貢献することができる」(Louis Finkelstein, The Jews:Their History, Culture, and Religion, New York, Harper & Bros, 1960, p.1739)。 この具体的、実践的な日常生活における行為の伝承が、ユダヤ人を一つの民として今日まで存続させてきた。それは食物規定や安息日の遵守といった日常生活における諸行為なので、その伝承は基本的には家庭で行なわれる。現代イスラエルにおいてこのような規定をすべて厳格に守っている人々は多くはなく、人口の数パーセントにすぎない。厳格な人々は「宗教的」と呼ばれ、そうでない人々は「世俗的」と呼ばれる。毎日祈祷したりシナゴーグに行くのを欠かさないのは宗教的な人々である。だが「世俗的」と呼ばれる人々の中にも、ある程度の規定を守る人や全く守らない人がいる。その際の規定遵守の根拠は必ずしも一定ではない。神との交わりの手段という「本来の」意味を重視する人、ユダヤ人としてのアイデンティティの� ��題と捉える人、文化もしくは伝統として継承していきたいと考える人、生まれた時からの習慣なので変える必要を感じない人など様々だ。
現代イスラエルにおけるもう一つの問題は、宗教派と世俗派の政治的対立である。全ユダヤ人に規定を遵守させようとする人々は、安息日に走っている自動車に投石したり、食物規定に反する食料品店を焼打ちしたりする。また聖書や口伝律法の時間数を減らしてパレスチナ詩人の作品を義務教育のカリキュラムに取り入れようとした左派の教育相に似せた人形が作られ、ペルシアの高官でユダヤ人虐殺を計画したハマンになぞらえてプリム祭に吊し首にされたこともあった。その教育相の行為はユダヤ人に対する裏切りだと見なされたからである。イスラエルに限ったことではないが、宗教的であることとファナティシズムは結び付きやすい。そしてそのような傾向を政治的に利用しようとする人々がいる。宗教的� ��人が全員政治的に右派だったり大イスラエル主義を信奉していたりするわけではないが、規定遵守を尊重するというスローガンの背後にある政治的意味に鈍感ではいられない。となると、当然規定を守らないという行為にも政治的意味が生まれてくる。
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だが宗教的であれ世俗的であれ、ユダヤ人はだれもが自分がユダヤ民族の一員だと考えている。そして自分の子どもたちにも、ユダヤ的な感覚、ユダヤ人であるという自覚を継承させようとする。私はユダヤ人と結婚して十三年になり、イスラエルでの生活は十年を越えた。私自身はユダヤ教に改宗していないので二人の子どもたちはカテゴリー上は非ユダヤ人である。しかも夫はまったく宗教的ではない。イスラエルには聖書やタルムードなどの宗教教育に重点を置く教育機関と世俗的な教育機関の二種類があり、私の子どもたちもイスラエル人の大多数が通う世俗的な教育機関に通っているが、そんな彼らにもこのユダヤ的な感覚は間違いなく継承されている。実際にどのようにしてユダヤ的な伝統が受け継がれていくの� ��、イスラエルに住むふつうの世俗的な家庭及び教育機関で行なわれているいくつかの事柄を概観してみたい。
1 家庭における伝承
(1)割礼
ユダヤ人の家庭に男の子が生まれたときには、生後八日目に割礼と命名が行なわれる。宗教的儀礼としての割礼には詳細な規定があるが、最近では病院で行なわれる場合もある。通常割礼式には数十名から数百名の客が呼ばれ、割礼は客たちの面前で行なわれる。執刀するのはモヘールと呼ばれる専門家で、割礼終了後は赤ちゃんのお披露目を兼ねたパーティーとなる。他の規定の遵守には全く関心を払わない世俗的なユダヤ人も、この割礼だけは決して省略しようとはしない。どうしても宗教的にしたくない親の場合は、モヘールが執刀したり祝福の祈祷が行なわれたりしない、純粋に医師による外科手術としてでも、必ず子どもに施す。その理由付けとしては、宗教的側面だけでなく衛生面、及び長じてからの心� ��的コンプレックスという観点からも議論されている。しかし割礼に対するユダヤ人の熱情的といえるほどの固着は、もはやそれがそのような理論的説明を越えた民族のアイデンティティの根幹に関わる行為であることを示している。親子関係確立の出発点において、ユダヤ人は自分の息子もまた一生ユダヤ人であり続けることをこうして確認するのである。女の子が生まれたときは、宗教的にはシナゴーグの礼拝において命名と祈祷が行なわれるらしい。女の子の誕生が祝福されないわけでは決してなく、最近世俗的な人々の間では女の子の出産を祝うパーティーが割礼式と同程度の盛大さで開かれるようになってきた。
(2)バル・ミツバ/バット・ミツバ
男の子が十三歳になると、バル・ミツバ(成人式)が行なわれる。この年齢以降は、ユダヤ教においては宗教上のあらゆる義務を負うことになる。シナゴーグでの礼拝や結婚式のような宗教的儀式には、ミニヤンと呼ばれる成人男子最低十人の出席がなければならないが、バル・ミツバを終えた男子はその一人と数えられる。宗教的には、シナゴーグにおいて男の子がトーラーを初めて朗読することがバル・ミツバの儀式である。その後親族や友人を大勢招いた盛大なパーティーが開かれる。一方女の子の宗教上の成人年齢は十二歳である。女の子はシナゴーグでのトーラー朗読は課せられないのだが、最近は男女不平等の解消のためか十二歳になった女の子にはバット・ミツバと呼ばれる成人式の盛大なパーティー� ��行なわれるようになってきた。
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現代社会においては、十二、三歳は何といってもまだ子どもである(選挙権や飲酒が認められるイスラエルの法律上の成人年齢は十八歳だ)。それでも世俗的な人々がそれを盛大に祝うことの主たる意義は、家族や身近な人達が、難しい年齢を迎える子どもに責任ある主体として行動するための自覚を促すという点にある。パーティーにおいて子どもは、今まで育ててくれた感謝を両親を始め家族や招待客の全員に述べるのが慣例である。一方家族の年長者は、祝福と同時に今後のアドバイスを述べる。私が先日出席したバット・ミツバの祝いでは当事者である女の子の伯母さんが祝辞を述べ、「あなたはもう立派なユダヤ女性です。大人なのだから両親を助けて弟妹の世話に責任を持つようにと言われるでしょう。でも一方� ��ボーイフレンドと二人だけで旅行したいと言っても反対されるでしょう。自分がどの程度の事柄にまで責任を負えるのかを見極める目を養ってほしいのです」と語っていた。招待された客たちは、いくばくかのお祝い金を包む。昨今ではバル/バット・ミツバを迎えた子どもを海外旅行に連れて行き、見聞を広めさせることが多い。英語教育は小学校四年生からなので、十二、三歳の子どもは簡単な英会話ならできるようになっている。そんな子どもの目を世界に開かせ、外国での振舞い方を教えるのだ。バル/バット・ミツバにおいて、思春期にさしかかる子どもたちは自分と周囲の人々及び世界との関係を再確認する。本当に独り立ちするまではまだまだ先は長いのだが、彼らは責任を問われなかった無邪気な子ども時代に別れを告� �、自分自身を確立するための困難な時期へと入っていく。周囲の大人たちもそれを十分自覚して、当分の間はらはらしながら見守るしかないという覚悟を新たにするのである。
(3)食事
ユダヤ人の町のふつうの商店では、たいがいユダヤ教の規定に沿った清浄食の食品しか扱っていない。つまり、豚肉やエビやイカは特別な店まで買いに行かなければ入手できない。だがいくら清浄食マーク付の食品を買ってきても、自宅で乳製品と肉を一緒に調理したり食べたりしたら、それはすでに清浄食ではない。乳製品を摂取してからは約三十分たたないと肉は食べられないし、肉を食べたら約六時間後にしか乳製品は食べられない。規定をすべて厳格に守っている家庭は多くはないが、豚は食べてもエビは食べないとか各家庭や個人によって清浄食に対する態度は異なる。子どもたちは通常両親の流儀に従うわけだが、思春期に近づき自己主張の欲求が強まると両親とは異なる行動をしたがることもある。つ� ��り規定をまったく守らない両親の子どもが、ある日肉を食べた後アイスクリームは食べたくないと言い出したりする。そうして試行錯誤しながら、各人が自らのユダヤ人としてのアイデンティティと食物に対する嗜好を秤にかけて、着地点をさがしていくのだ。
(4)安息日と祭日
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安息日は、金曜日の日没から土曜日の日没までである。安息日を厳格には守らない世俗的な家庭でも、金曜日の夕食は特別である。独り暮らしの人も寮に入っている学生も、金曜日には自宅を目指す。ふだんは夕食は軽めに済ませる人が多いが、安息日の夕食の前にはシャワーを浴び、きれいな服を着てご馳走が並んだ食卓に着く。どうしても帰れない人は電話で家族と話す。翌日が休みなので夜通し遊びに出かける若者も多いが、彼らもその前に家族と食事を共にする。 ユダヤ教の祭日は、大きく三つに分けられる。最初のグループは、トーラーに定められているペサハ(過越の祭)、シャブオット(七週の祭)、スコット(仮庵の祭)、新年、ヨム・キプール(贖罪日)といった厳粛な聖日である。第二は伝統� ��ではあるがトーラーに定められているわけではないハヌカやプリムなどである。第三のグループは、ホロコースト記念日や独立記念日といった主としてイスラエル国内で守られる記念日である。いずれの祭日もユダヤ暦に基づいているので、西暦だと年によって日付がずれる。祭日は日没から翌日の日没までだが、学校は休みなので主として家庭で祝われる。安息日にもまして、祭日の食事は家族と共に採るのが慣例である。
とりわけペサハ(過越の祭)の夜には、時には数十名が集まりハガダーと呼ばれる出エジプトの伝承を記した式次第を朗読しながら食事をする。この儀式をセデルというが、真面目に全部をこなすと何時間もかかって深夜に至る。エジプトでの苦難を表わす苦菜や、奴隷労働の際に作った煉瓦を象徴するハロセット(リンゴや胡桃をすり潰したもの)などの特別な食物を、順序に従って種なしパンと食べるのである。宗教的でない家庭では、象徴的な食物も全部は準備せず、ハガダーも最初の数ページを読むだけで「以下省略」とすることもあるが、それでも家族は必ず集まる。ペサハ直前のイスラエル行きの飛行機の便は満席だし、ペサハの夜の道路は閑散としている。ペサハ前になると私が勤務するテルアビブ大学でも、� ��こからもセデルへの招待を受けていない留学生を教員の自宅でのセデルに受け入れてほしいという通知が回ってくる。私たちは通例夫の母の家でペサハの夜を過ごすが、全く宗教的ではなくハガダーが持ち出されることもない。僅かに種なしパンとハロセット(甘くておいしいから)が食卓に上るが、これではだれも招待することはできない。
一方ヨム・キプールは、日没から翌日の夜星が三つ出るまで一切の飲食を断って一年間の贖罪を祈る日である。調査によるとイスラエルに住むユダヤ人の約七割が断食を守っているという。他の祭日には商店は閉まっているし公的交通機関はストップしているものの、テレビやラジオの放送も車の通行もあるが、ヨム・キプールだけは一切の放送が止まり道路を通る車もない。断食をしている人は体力の消耗を避けて静かにしている。ちなみに一九七三年のヨム・キプールにエジプト軍とシリア軍がイスラエルを奇襲した際、殆どの人が自宅にいたため兵士召集のための連絡が即座についたのだという。
2 公教育(世俗的)における伝承
(1)安息日と祭日
イスラエルでは義務教育は幼稚園の年長組から始まる。だが殆どの子どもたちが二、三歳から保育園や幼稚園に通い始める。粘土遊びができるぐらいの年齢になった子どもたちは、園で毎週金曜日に安息日用の白いパン(ハラー)の生地をこねる。先生はそれを焼き上げ、帰る直前に子どもたちと一緒に安息日用の二本の蝋燭に火を灯し、子どもひとりひとりの名を呼んで「シャバット(=安息日)・シャローム」と言いながらハラーを分ける。子どもたちはそれを噛りながら帰途につく。私が園の先生に「毎週ハラーを焼くのはたいへんじゃないですか」と聞くと、「金曜日にハラーを焼かなかったら、安息日が来たのをどうやって知ることができるの?」と言われた。だが小学校に上がると、さすがに毎週教室で� ��をこねてハラーを焼くことはない。
祭日の意味は小さいうちから教えられる。例えばペサハの場合は、園で葦の茂みに隠された籠の中の赤子モーセの人形を作ったり、エジプト人に鞭打たれるイスラエル人を演じたり、種なしパンを手作りしたりする。プリムやハヌカといった伝統的な楽しい祭には、園や学校でパーティーが開かれる。このような行事を通して、子どもたちは早くから神の存在を話題にするようになる。わが家の子どもたちが「神様はいるの?」という問いを家庭で発したのは、いずれも五歳のときであった。夫は「いると考えている人も、いないと考えている人もいる。もっと大きくなったら自分で判断できるけれど、今のところはどちらの考え方の人に対しても非難したり傷つけたりしないように注意しなさい」と答えていた。
(2)ユダヤ人としての自覚
幼稚園では、しばしばイスラエル詩人や画家の作品が期間を決めて重点的に取り上げられる。近くの博物館へも積極的に子どもたちを連れて行き、民族文化に触れさせる。独立記念日の前には園と小学校の子どもたちひとりひとりが絵や手紙を付けた菓子などが入った慰問箱を準備し、それは一括してイスラエル国防軍へ贈られる。住所や電話番号を手紙に書いて贈るので、その箱をもらった兵士から返事が来ることもある。見知らぬ兵士から返事をもらった子どもは、自分が抽象的な「軍隊」ではなく兵士個人とつながっていることを実感する。またホロコースト記念日の前には、幼稚園でもナチスについて語られる。五歳だった娘はその話の後、「どうしてヒットラーはユダヤ人を殺したの?」と繰り返し聞いて� ��た。反ユダヤ主義は過去の話ではなく、現在でも厳然と存在する。子どもたちはこうして小さいうちから、「ユダヤ人は嫌われてきた」という感覚を身に付ける。小学校ではホロコーストについての課題研究を提出させたり、体験者を招いて話を聞いたりする。またホロコースト記念日と戦没者記念日には犠牲者を悼むサイレンがイスラエル中に鳴り響くが、子どもたちも全員起立して黙祷する。
小学校三年生からは公民と民族史を扱う授業が設けられ、最初は家族について(例えば両親がどこから来たのかを何代も前に遡って家系図にする)、高学年になると父祖アブラハムから今日に至るまでのイスラエル史を学ぶ。聖書とイスラエル史は大学入学資格試験の必修科目なので、疎かにはできない。出自を記録しておくことへの重視は、家系図作成用のコンピュータソフトが売られていることからも伺える。ホロコースト記念館(ヤド・バシェム)では、虐殺されたユダヤ人が一人ずつデータベース化されているが、それに漏れた人を少しでも減らすために常時情報が受け付けられている。また同記念館の「子どもの館」では、判明している限りの子どもの犠牲者の名が淡々と、しかし切れ目なく読み上げられ� ��いる。イスラエルの子どもは、自分が突然この世に生を受けたわけではなく、ひとりひとりが長い歴史を背負ってここにいること、そしてそれは今後も決して忘れ去られることなく引き継がれていくことを学ぶのである。
(3)聖書教育
聖書の勉強が始まるのは小学校二年生である。創世記から読み始め、六年生までに列王記までを読み終わる。長男の場合、小学校での聖書の時間は週に四時間であった。最初はトーラーだけの教科書だが、四年生からは預言書と諸書全巻のそろった聖書(タナハ・マレー)になる。聖書の授業では、神の名(ヤハウェ)は決して発音してはならず、エローヒーム(神)、ハシェム(御名)、アドーナイ(わが主)のどれかを用いること、宗教的な人の前ではエローヒームではなくエローキームと言わなければならないこと(ヤハウェを表わすユッド、ヘー、ヴァヴ、ヘーのヘブライ語文字の組合せは神聖であり、宗教的な人はエローヒームという語のヘーとユッドの組合せも避けるため)、全巻聖書が床に落ちたら接� ��しなければならないこと、といった規則ないしは慣習も教えられる。批評的な読み方が導入されるのはもっと後で、それまでは内容をそのまま理解し、記憶していく。中学校でも聖書の授業は続くが、それに加えて口伝律法のクラスが始まる。
ユダヤ人は言葉の民と言われるが、上述したように彼らの言葉は具体的、実践的な行為と密接に結び付いている。また祭日の三つの分類が示すように、ユダヤ人のアイデンティティには、トーラーに定められた厳粛な宗教性、民族として培ってきた伝統、迫害されてきたユダヤ人がついに獲得した現代国家イスラエルの存続などの側面がある。それらは各人の自意識において複雑に錯綜し、絡み合う。だれもが伝統や規程に対して自分がどのような態度を取るのかを常に問われており、「ユダヤ人であること」と向き合わなければならない。世俗的な立場を取る人々であっても、この民族の存立は聖書に記された神との契約の出来事なしには語り得ないが、規定の遵守がそのまま現代社会におけるイスラエル国の存続� ��保証するわけではない。だれもが民族の生存を真摯に考えているが、それが意見の相違を生み、時には激烈な対立となる。だがその対立を安易に解消するのでなく民族内の多様性として内包し、常に自らにも他者にも問いを発し続け、議論を戦わせていくことがユダヤ人としての姿勢なのであり、家庭でも公教育でもそのための基盤の継承が重視されているのである。
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